６ プラズマクラスター発生装置の人体への影響
シャープは当該装置から離れたところにある衣類の付着臭が減少するという実験結果を示している．シャープはかつてプラズマクラスターは空気中の浮遊粒子のみに作用するとしていたが，シャーレ上でのタンパク質の分解や衣類の脱臭効果は，これと矛盾し，当該装置から発生する物質が，物体表面分子へ作用することを示している．
シャープは，ＧＬＰ(優良試験所基準)適合の試験を委託し，“プラズマクラスターの安全を確認”，“信頼性の高い安全性のデータを取得している”としているが，対象となる化学物質の名称，構造式等の同定データを示す項目に，ヒドロキシラジカルは挙げられていないであろう．ＧＬＰ適合試験自体の有効性も問題だが，シャープが発表しているＧＬＰ適合試験は上市前最小データセット(Minimum Pre-Marketing Set of Data: MPD)の要件を満たしていない．1982年12月8日のOECD理事会決定事項には，“加盟国は、新規化学物質が上市される前に，新規化学物質の人及び環境への有害性の意味ある評価をなしうるように新規化学物質の性状についての十分な情報を入手すべきである．その履行に当たり上市前最小データセット(MPD)は，化学物質の健康と環境への潜在的有害性の意味ある初期評価の基礎として役立つものである”としている/46/．
シャープが明らかにしたＧＬＰ適合試験結果は，皮膚刺激性一般状態，眼刺激性一般状態，遺伝子毒性一般状態を目的とした，皮膚刺激性，腐食性，急性眼刺激性，腐食性，吸入毒性(肺組織の遺伝子影響評価)である．当該装置に要求されるＭＰＤとして，シャープが発表した急性経皮毒性，皮膚刺激性，眼刺激性，変異原性データの他に，急性吸入毒性，14〜28日の反復投与(吸入)毒性データがあり，後者が抜けている．また，当該理事会決定事項にはＧＬＰ適合試験のＭＰＤが潜在的有害性の初期評価の基礎であることを明記しており，ＭＰＤの要件を満たしたとしても健康被害が無いことを保証するものでは無い．
プラズマクラスター発生装置の主な健康被害として，気道粘膜への影響が考えられる．
以前，電気量販店で当該装置が稼働しており，その前に数分間いたことがあるが，その後，大変な気道狭窄を起こした．これは紛れもない事実であり，ネットの掲示板には，喉の痛みを訴える者や，石油ストーブと一緒に用いた場合，空気がかえって悪くなるという書き込みもある．後者は，後にも述べるが，”2.3室内のHO・濃度” での引用文献の著者Weschlerが，室内HO・で分解された物質がより有害であると予見したことと符号する/31/．また，IG-B200を三日間使用してアトピーが悪化したという書き込みも見られる．
これらの他，当該装置は気道粘膜の免疫機能を低下させると考えられる．
粘膜は生体が外界と接する所であり，異物侵入に対する最初の防衛線である．気道粘膜上皮は，線毛を有する線毛上皮細胞，粘液を分泌する杯細胞，及び基底細胞から成る．粘液層は漿液性の線毛間液と粘度の高い外層粘液からなり，連続的な線毛運動により外層粘液に付着した異物が排除される．外層粘液の移動速度は，気管で10〜20[mm/min]，細気管支で0.1[mm/min]と部位によって異なり，下気道に沈着した不溶性の粒子は線毛運動によって咽頭まで運ばれ嚥下される/47/．肺胞に拡散沈着した放射性粒子99mTc(ヒト血清アルブミン)が気道粘液輸送によって咽頭まで運ばれるには数時間を要する/48/．なお，高齢者や呼吸器疾患者は粘液移送速度が遅くなる．繰返暴露により線毛運動が影響を受ける可能性がある．
また，粘液層にはシアル酸を含むムチン，リゾチーム，ラクトフェリン等の抗ウィルス・抗菌物質や分泌型ＩｇＡが存在する．
気道粘液は，95%が水分，残り5%のうち80%が高分子化合物，高分子化合物の30〜60%が糖タンパクである．
外層粘液の主成分は粘性のあるムチンである．ムチンは，分子量100万〜1000万の糖タンパクで，10〜80残基のペプチドの繰り返しからなるコアタンパクに，N-アセチルガラクトサミン，N-アセチルグルコサミン，ガラクトース，フコース，シアル酸などの糖鎖が結合している．糖鎖はムチンの分子量の50％以上を占める.
インフルエンザウィルスは，スパイクのひとつである糖タンパクのヘマグルチニンが，宿主細胞表面に存在する糖鎖の末端にあるシアル酸と結合して細胞に感染する．シアル酸はノイラミン酸のアミノ基やヒドロキシル基が置換された誘導体のファミリー名であり，ノイラミン酸はカルボキシル基とアミノ基を6員環に含む９炭糖C9H17NO8である．
インフルエンザウィルスは，血球凝集反応(hemagglutination)を起こす．ウィルス表面に複数存在するヘマグルチニンは赤血球表面の糖鎖と結合し，血球同士が架橋されて凝集する．
ムチンはインフルエンザウィルスの血球凝集反応を阻止する．ヒツジ，ウシ，マウス，ヒトのムチンのうち，シアル酸を最も多く含むヒトムチンが，血球の凝集を最も抑制する/49/．ムチン糖鎖のシアル酸は，ウィルスのスパイクと結合してインフルエンザウィルスの細胞感染を阻止している．
リゾチームは真正細菌の細胞壁を構成しているペプチドグリカンを加水分解する酵素である．ラクトフェリンは鉄と結合してブドウ球菌・大腸菌の増殖を抑制するタンパク質である．
ＩｇＡは４本のポリペプチド鎖からなる免疫グロブリンの一種で，粘膜固有層のＩｇＡ形質細胞で産生され，基底膜を通過する際に分泌成分と結合して粘液層へ放出される．分泌型ＩｇＡは，細菌やウィルスの上皮への接着因子をマスキングしてこれらを凝集させ，細胞感染を阻止している．
粘膜上に存在するこれらのタンパク質と糖は，外界から侵入してくる細菌，ウィルスに対する生体の最初の防衛線となっている．
なお，HO・は直鎖や六員環の糖のCHからも水素を引き抜く．セルロース等の多糖も，生成したカーボンセンターラジカルが転移やフラグメント化を起こし，分解する/50,51/．
プラズマクラスター発生装置は，シャーレ上のタンパク質を分解し，離れた所にある衣類の臭気分子に作用する．その活性種はこれまで述べたように，同装置から発生するHO・等の活性酸素である．同装置は使用状況によっては粘膜上のタンパク質や糖を破壊して，生体防御機能を低下させると考えられる．
また，鼻腔の臭粘膜はボウマン腺や上皮支持細胞から分泌される薄い粘液で覆われており，匂いは臭細胞から生えた線毛の先端にある嗅覚受容体と匂い分子が結合して感知される．匂い分子の多くは揮発性，脂溶性の低分子有機化合物であり，粘液中に含まれるリポカリンファミリーに属する匂い結合タンパク(Odorant binding protein)と結合して粘液バリアを通過し，嗅覚受容体に渡される/52/．また，粘液成分は免疫機能を持つ．当該装置は嗅覚にも影響を与える可能性がある．
オゾンの屋外生活環境基準と室内環境基準は0.06[ppm]と0.05[ppm]で，屋外濃度の現状は基準に近い値にあり，しばしば超える場合もある．米国環境保護庁(EPA)は，市販のオゾン式空気清浄機に関するレポートで，“オゾンは環境基準を超えない濃度では室内汚染を制御することに概して効果が無いことを科学的証拠が示している．オゾンは他の室内化学物質と反応する過程で，刺激性，腐食性のある他の化学物質を産生しうる．”と述べている/53/．後半に関しては，2.3”室内のHO・濃度”で参照したWeschler/31,32/の見解をもとにしており，オゾンとVOCの反応で生じたHO・自身やHO・と他のVOCとの反応で生じるアルデヒドやケトン，有機酸のことを言っている．なお腐食性とは室内備品に対して用いている．
EPAの当該レポートの中に，私がプラズマクラスターに関して意見してきたことと似たような見解があるので紹介しよう．
“Some manufacturers
or vendors suggest that ozone will render almost every chemical contaminant
harmless by producing a chemical reaction whose only by-products are carbon
dioxide, oxygen and water. This is misleading.”/53/
“The
proximity of a person to the ozone generating device can also affect one’s
exposure. The concentration is highest at the point where the ozone
exits from the device, and generally decreases as one moves further
away.”/53/
“Ozone has been extensively used for water purification, but ozone
chemistry in water is not the same as ozone chemistry in air. High
concentrations of ozone in air, when people are not present, are sometimes used
to help decontaminate an unoccupied space from certain chemical or biological
contaminants or odors (e.g., fire restoration). However, little is known
about the chemical by-products left behind by these processes (Dunston and Spivak, 1997). While high concentrations of ozone in
air may sometimes be appropriate in these circumstances, conditions should
be sufficiently controlled to insure that no person or pet becomes exposed.
Ozone
can adversely affect indoor plants, and damage materials such as rubber,
electrical wire coatings, and fabrics and art work containing susceptible dyes
and pigments (U.S. EPA, 1996a)”/53/.
mislead(人を誤解させる,迷わせる,欺く)について，シャープがしてきたことを述べよう．
(1)
作用機序自体
(2)
プラスとマイナスのイオンは自然界にあるもので安全
(3)
プラズマクラスターの反応副産物は水だけであり，残りはゴミみたいなものとHP上に記載
(2)は“海の水は陽イオンと陰イオンを含んでいます．塩酸も陽イオンと陰イオンだから安全”と言っているのと同じである．
シャープが提唱してきたプラズマクラスターの作用機序に科学的根拠は認められない．当該装置の主な活性種は誘電体バリア放電(DBD)によって装置から直接放出されるヒドロキシラジカルHO・を初めとした活性酸素であることは明白である．シャープはプラズマクラスター発生装置の真の作用機序を公表し，使用状況による人体・生体への影響，家具・衣類への影響調査結果を，明らかにすべきである．
大手メーカの言ってることだから間違いないだろうと思うのは，大きな誤りである．GLP適合試験の内容についてシャープに問い合わせても情報公開しなかった．関係諸機関はこれまでの経緯，現状をふり返り真摯にことに向き合うべきである．マイナスイオンだけでなくプラスイオンも発生させてみたら除菌効果があったというプラズマクラスターの開発話を目にしたことがある．当該機は３０００万台を販売したという．ひとくくりにした”マイナスイオン”も怪しいものだが，そこから派生した”プラズマクラスターイオン”は”妄想による暴走”としか思えない．アンデルセンの童話を想起させるのは私だけであろうか．
正直，こんな問題にこれ以上労力を使いたくないと思うのが，私の偽らざる気持ちである．問題が早急に処理されることを望む．
１ 熱力学的考察 〔 図1-3，表１-15，式(1)-(47) 〕
２ 誘電体バリア放電，外気，及び室内のHO・濃度 〔 図4-8，式(48)-(50) 〕
３ HO・と両極性イオンのエアロゾル粒子及び平板への衝突量 〔 図9-11，表16，式(51)-(67) 〕
４ ＤＢＤで発生する活性酸素濃度の数値計算シミュレーション〔 図12-22，表17-20，式(68)-(79) 〕
５ プラズマクラスター発生装置の活性種 〔 式(80)-(87) 〕
８ プラズマクラスター発生装置の生活空間での有効性〔 図23-31 〕